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大リーグキャンプレポートA −ゴジラを追う−
2月24日、雪の舞う成田空港を出発した。最初の目的地はヤンキースのキャンプ地、フロリダ州タンパ。フロリダ半島中部のメキシコ湾側に位置し、マイアミに次いで州2番目に大きい都市である。ここにはタンパベイ・デビルレイズという球団があるが、ヤンキースファンもかなり多い。日本からタンパへの直行便はないので、途中テキサス州ダラスを経由した。
タンパに到着したのは、現地時間の24日午後である。空港から一歩外へ出ると、フロリダ特有の、湿気を含んだ生温かい空気が出迎えた。気温は25度前後。レンタカーを借り、空港に程近いホテルへと向かった。1年半ぶりのアメリカでの運転とあって、若干の不安はあったが、いざ運転してみると感覚が残っているものだ。日本と反対側を走る違和感はさほどなかった。
翌日から2日間、松井選手の練習を取材した。ヤンキースがキャンプを張るレジェンズフィールドは、街の中心から車で15分ほど離れた、広大なスポーツコンプレックスの中にある。メイン球場の他にサブグランドが2面と、8車線ある幹線道路を挟んで、7万人を収容できる巨大なアメリカフットボールのスタジアムが隣接している。まさにアメリカならではである。1996年のオープンと比較的新しく、ヤンキースの1A球団の本拠地でもあるこのメイン球場。この後廻ったどの球場よりも大きく、壮観であった。松井選手を含むヤンキースの野手陣は、2日間ともこのメイン球場で打撃練習を行っていた。ヤンキースの一塁側ベンチ前を、日本の報道陣が埋め尽くす。5、60人はいただろうか。松井選手がケージに入ると、いっせいに記者達の真剣な眼差しと、おびただしい数の大望遠カメラが向けられた。
仰木氏と松井選手との顔合わせは、意外なほどすぐに訪れた。我々が取材に訪れた初日の、室内打撃練習後だった。多くの報道陣の中を掻い潜り、報道陣が立ち入る事のできない、室内練習場脇の通路奥で行われた。松井選手の表情も声の調子もあまり冴えない。連日受けるプレッシャーと環境の違いからか、少し疲れた様子だった。仰木氏に対しても、「だいぶ慣れてきてはいるが、まだ練習方法の違いと、言葉の壁に戸惑っている」と本音を口にしていた。
ある担当記者は松井選手についてこう語っている。「イチローが自然に楽しめるのに対して、松井は真面目すぎる。楽しむことが下手な選手なのかもしれない。」巨人という人気球団の4番打者として、常に責任という重圧に慣らされ、日本よりも開放的なアメリカの地に来ても、まだその重圧が付きまとっているかのようだ。その担当記者は、巨人時代の松井が発した「楽しんでタイトルは取れませんよ。」という言葉が印象的だった、とも言う。
2月27日、オープン戦が一斉に開幕した。ヤンキースはホームで、ケン・グリフィー擁するレッズを迎えての対戦。松井は5番レフトで先発出場した。ウェーティングサークルで初打席を待つ松井選手は、何度も大きく息を吐き、緊張感がスタンドにも伝わってくるほどだった。その打席で弱い当たりのショートゴロに終わった後の2打席目、早くも松井のバットから快音が響いた。変化球を主体とする左腕アンダーソンの力ない直球を、ライトスタンドへ弾丸ライナーで放り込んだ。この球場は、ヤンキースタジアムと全く同じサイズに作られているので、ヤンキースタジアムでもホームランになった一撃だった。ダイアモンドを一周する松井選手に対し、ファンは総立ちで拍手を送った。どこからともなくマツイコールが起こり、スタンドは大変な盛り上り。交代後すぐに記者会見が行われた。松井選手の表情はまだ強ばっている。まだ興奮冷め遣らぬ様子だった。
ヤンキースは大リーグ最高のラインアップを擁する。1番から9番まで、どの選手も他のチームならクリーンアップを打てる力を持った選手が揃う。それでいてヤンキースの各選手は、大振りをせず、次につなぐ打撃ができるのが特徴だ。好球必打が持ち味の松井選手にとっても、溶け込みやすいチームと言えるのではなかろうか。「あえて適当にやった方が活躍するのでは。」とは、仰木氏の見方。いかに自分のスタイルを崩さずにプレーできるかが、活躍の鍵となりそうだ。
この後ヤンキースのロード2連戦に帯同した。松井選手はホームランを放った翌日のフィリーズ戦に4番で出場したが、チャンスで力んだのか、外角球を引っかけてセカンドゴロダブレプレーに終わった。我々はその1打席だけを見送り、エクスポズのキャンプ地、ビエラへと向かった。