草野球団ハードライナーズ > 鯛ちゃんのベースボール的放談 > 大リーグキャンプリポート1
それは突然の連絡だった。正月気分の抜けた1月6日から1週間、私は青森に一人旅に出ていた。知人であるモントリオール・エクスポズの友岡コンディショニングコーチから、仰木氏のアメリカ取材に同行しないか、という電話が入ったのは、青森から帰ってきた日の夜の事だった。
友岡コーチとは2年前、ボストンで知り合って以来何度か会い、連絡も取り合っていた。昨年末にも東京でお会いしていた。話によると、仰木氏が新聞社の仕事で3月に渡米して、日本人選手を取材する際の運転手兼通訳を探しているという。私は二つ返事で引き受けた。こんな機会は滅多にあるものではない。思いもよらぬチャンス到来だった。
早速仲介役であるオリックスの中西外渉担当をとおして、スケジュールの調整が始まった。基本的には仰木氏と新聞社がスケジュールを立て、私はそれに合わせて飛行機やホテル、レンタカーなどの手配をすることになった。最終的なスケジュールは以下のとおりとなった。
2月24日 日本出発
24〜28日 ヤンキース 松井選手取材
3月1日 エクスポズ 友岡コーチ訪問
2日 ドジャース 石井投手取材
3日 ドジャース 野茂投手取材
4日 カーディナルス 田口選手取材
5日 メッツ 新庄選手取材
6日 移動日
7、8日 マリナーズ取材
9日 レンジャース、アスレチックス訪問
10日 帰国
写真=レジェンズフィールドにて仰木氏と中谷選手
スケジュールは、前日になって急遽変更することもあった。松井選手が遠征に帯同しないためであったり、野茂投手の登板が予定より1日早まったためであったり。その都度オープン戦の日程表を広げ、移動距離と相談しながら、新しい予定を組んだ。
日程調整や手配などの準備に先だって、2月初旬、オリックスがキャンプを張る宮古島で仰木氏との顔合わせがあった。はじめ球場のスタンドで練習風景を眺めていると、午後になって仰木氏がグランドに姿を表した。監督、選手達が次々と挨拶にやってくる。白いワイシャツにサングラス姿。一歩間違えれば「組長」、という出立ちだった。
しばらくして、中西氏からグランドに降りてくるようにとの指示があった。いよいよ仰木氏との対面だ。心臓はバクバク鳴っていた。仰木氏はベンチ前に置かれた折り畳みイスに座っていた。私は中西氏に紹介され挨拶をした。仰木氏は座ったまま、「どーもー、仰木ですー。」と、にこやかに答えた。その後、何を話したかはあまりよく憶えていない。しかし、仰木氏の語り口が実にゆったりしていたため、だんだん緊張感が解き放たれていったことだけは憶えている。ゆっくりとした口調は、旅の間中も変わらなかった。「どーもー」「はーい」「よろしくー」といった言葉で、どれほどこちらがリラックスできたことか。
宮古島にいる3日間、仰木氏は毎晩私を夕食に誘ってくださった。元大監督だからという横柄な態度は全くなく、誰とでもわけ隔てなく対等に話した。それは記者に対しても、キャンプ地で出会った研修中のトレーナーに対しても、サインを求めるファンに対しても同じであった。監督時代、宮古島のホテルから球場までの12キロの道のりを毎日歩いて、地元島民との親交をはかったという。そのあたりが、大監督であったとともに人気監督であり、選手からの人望も厚かった所以なのだろう。
宮古島から戻って急ピッチに旅行の手配をすすめた。日に日に仰木氏との2週間の旅が始まる、という実感が湧いてくる。どんな事が起きるのだろう。無事に旅をすすめる事ができるだろうか。そして、期待と興奮と不安の入り混じる中、出発日の朝を迎えた。
つづく >>