
長きに渡り主力選手として活躍してきた飯沼が、三月でハードライナーズを離れることになった。毎年のように「転勤」をチラつかせていたとはいえ、いざ本当に決まるとショックは大きなもの。
今では数少なくなったチーム創設時からの参加選手。当初は投手希望だった。球速はチーム一を誇る速球派として、最初の紅白戦に登板し、首脳陣を驚かせた。しかしすぐに肩に違和感をおぼえ、一塁などを守るようになる。
投手→一塁→三塁→捕手とさまざまなポジションにコンバートされ続けたが、
どこもソツなく無難にこなした。
打撃も常に上位打線を打ち、打撃成績も上位に名を連ねた。
時には四番、時には一番や二番を打つこともあり、攻守ともオールラウンドプレイヤーと呼ぶにふさわしい選手である。
01年は惜しくも4割に届かないが3割9分7厘。02年は唯一規定打席を割ったが、初本塁打を記録するなどチームの初優勝に貢献。優勝を決めた試合でも五番を打ち一塁を守った。
特筆すべきは05年の4割6分7厘という高打率。初の打撃タイトルを獲得したところだろう。07年10月20日には長野での試合で球団史上二人目の通算10本塁打を記録した。
05年、当時の正捕手佐藤が故障で捕手を出来なくなってから、本塁を守り続けた。
投手の持ち味を引き出そうとする繊細なリードは、軟投派が多いハードライナーズにマッチすることとなる。
自慢の強肩も、年齢と共に衰えを感じさせる。すると無理にノーバウンドで送球するのを止めて、ワンバウンドでの送球に切り替える。自分の持てる力の中で最大限のプレーをするクレバーさを持ち合わせた。打撃、守備、走塁、どれを取っても無駄の無い動きをするセンスはチーム一だ。
また、若手の面倒見も良く、出竹、五十嵐、中山、石塚ら「飯沼軍団」も結成された。
そんな存在感ある選手、飯沼がチームから抜けることは言葉では言い表せないほど痛いが、彼が残した功績を称え、球団史上三人目の殿堂入りが決定。チーム一同新天地での活躍を願う。
今はしばしの別れだが、またいつの日か一緒のフィールドに立てることを信じて・・・
代表から
いつも率直な意見をさりげなく言ってくれる貴重なそんざいだった。特にキャッチャーに定着してからは、キャッチングの上手さ、肩の強さとともに、ピッチャーの出来をすばやく伝えてくれるから継投がいつも上手く行っていた印象がある。出欠を出す早さなんかもチームで一・二。そういうところでも模範になってくれる存在だった。
代表が選ぶ飯沼ベストシーン3本
1.2004年7/25 東京ナイツ2回戦
この試合3-1とリードしていたものの後半は押され気味、二番手中原も疲れが見えていた。そんな状況下五回、一死から飯沼が放ったレフトへの本塁打が決めてとなりベスト8進出を決めた。
2.2000年11/4 対チェリーハンターズ2回戦
初回に放った三塁打。二子玉川A面の植え込みを遥かに超えるあたりだったが、フリールールだったために本塁打にならず。更になぜか足を痛めていたためゆっくりと走りランニング本塁打にもならず。しかし度肝を抜かれるあたりだった。
3.2003年 11/15 ヘリオス 1回戦
普段は三番、五番などを打つことが多い飯沼だがこの日は一番。同点で迎えた五回、二死二塁から左中間へタイムリーツーベース。勝負強さを見せ付ける打撃だった。
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難しいね…
思い出の試合は
1.3部決勝のコブラ戦かな 詳細
負けたけどいい試合だった
2.ジョンの引退試合 詳細
暑さでフラフラで死にそうだった 最後ジョンの胴上げは良かった
3.MMR戦 詳細
多分初の飯沼、本間の連続弾。ボールが止まって見えるほどあの頃は調子良かった…
番外1.初の長野遠征 詳細
幹事は大変だろうけどいい企画だった
番外2.55点取った試合 詳細
ちなみに勝ち投手
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4月某日、仕事帰りに3人で主役不在の送別会を行った。
さりげなくだけど、我々なりに飯沼君の旅立ちを祝福させてもらった。
「飯沼君、頑張れ!!」「俺たちも頑張る!!」
特別な友への熱い思いを胸に、俺たちは酒を酌み交わした。
〜永遠の好敵手(ライバル)〜
☆世田谷最強の3・4番!!
誰がなんと言おうと、俺は胸を張って言い切れる!!
「世田谷最強の3・4番はHL#19飯沼貴裕と#9本間興二のコンビだと!!」
・重ねてきた信頼!
08年3月8日(土)いつものように、イニング始めのバックセカンドを俺はショートで捕手の飯沼君から受けていた。「ワンバウン!」の声には地を這うような送球が、「ノーバウン!」の声には糸を引くような送球が俺のグラブめがけて飛び込んできた。その瞬間、俺は感慨深げに、何時も以上にその送球を大事に大事に捕球した。
同時に、「そういえば、あの時は、皆、若くてとんがっていたな〜!」なんて、試合中にも関わらずHL結成当時のことを少し思い出していた。今でこそ、最高の理解者である飯沼君も、中原さんも、光岡君も例外ではなく、HL結成から何年かの間はお互い手探りの日々が続いていた。それが、時を重ねるごとに、試合を重ねるごとに、酒を酌み交わすごとに、いつしか、お互いを認めあい、お互いの心を許しあえる信頼関係が構築されていた。
現に、今回のコラムを中原さん・光岡君の両者に依頼したときも、二人とも快く引き受けてくれた。親友から親友への粋なエール!!
俺にとってはその過程も含めて、最高に嬉しく幸せな現実である。
心地よい空間(捕遊間)!
飯沼君にとっての野球人として転機は、05年シーズンから捕手を務めるようになってからだと俺は思う。同時に、俺自身も飯沼君との信頼関係を確固たるものに出来たのは、この年から捕遊間を組めたことが非常に大きかった。一般的に、野球用語で捕遊間という言葉はほとんど耳にしないが、飯沼君とのその空間が俺にはとても心地よかった。まぁ、格好良い言い方をすれば、その空間には二人にしかわからない、一種独特の意思疎通が成立していたのである。
☆思い出のワンバウンド!〜急がば回れ〜
俺は、今でも明確に覚えている!この年の夏ごろの試合から、飯沼君がセカンドへ「ワンバンド!」の送球を投げてくれだしたのである。今までは、俺のどんな支持に対しても、何となくしか反応をしてくれなかった飯沼君が、初めて俺の意図を心で汲んでくれたことがたまらなく嬉しかった。だから、俺もその信頼に絶対に応えたかった!!イニングの合間の練習の送球であったが、そのワンバウンド!の送球だけは「死んでもキャッチしてやろう!!」と必死であった。もちろん、それは今でも変わっていない。そして、この時、飯沼君が俺のことを認めてくれたおかげで、俺も本当の意味で飯沼君に心を許すことが出来た。おそらく、この瞬間から飯沼君と俺は最高の好敵手(ライバル)になったのだと思う。出会いから少々時間を要したが、飯沼君と俺の信頼関係も、野球のプレー同様にワンバウンドしてから、その心がお互いの胸に届いたのであろう。
08年3月8日(土)、いつものように、いや、特別な思い胸に飯沼君に指示を飛ばす!
次の瞬間、今まで何百球も受けてきた飯沼君の地を這うようなワンバウンド!送球を大事に大事に捕球した。そして俺は、恰も憧れの人物と握手をした時のように、その感触を大切に記憶させた。
・Next Stage!!
これからは、お互い別々の野球人生を歩み始めることになるが、またいつか共に野球を
する時も、もちろん、「3番キャッチャー飯沼!!4番ショート本間!!」のスターティングコールをレオ君に呼び上げてもらおう!!
だから、その日までお互い次なるステージでも全力で頑張っていこう!!
8年間もの時の中で、最高の好敵手(ライバルで)あり、良き手本であった、飯沼君と共に同じ舞台で野球が出来たことに心から感謝!! 飯沼君ありがとう。
2008年3月 HL#9本間 興二
〜18.44mの会話〜
ついに、HL創立当初からのメンバーであり、私と同い年の選手がHLを巣立っていった。
2005年からこの3年間ほとんどの試合でスタメンマスクを被ってきた、いわば正捕手だ。だから私が投げる試合でも当然のように、18.44mの先に彼は座っていた。
いろんな指示を出すわけでもなく、バッターボックスの後ろで端から端まで動くわけでもないのに、どっしり構てる感じがして、すごく投げやすい。
それなのになぜ、投げやすいのか?それは、1つはキャッチングだ。きわどいコースのボールをストライクと審判が取ってくれる。ピッチャーから見るとボールだと思った投球がストライクになってくれると、気分がグッと盛り上がる。ピッチャーにストライクコースを広く見せる飯沼君のキャッチングの凄さだと俺は思う。だが、彼は平然とボールを投げ返す。当たり前かのように。だから俺も自信を持って投げられた。
そしてワンバウンド投球には、軽い身のこなしでキャッチしてくれた。最悪でも前に落としてくれる。よほどの悪球以外は後ろへ逸らした所は見たことがない。そして何も言わずボールを返してくれる。そんな無言のゲキに、俺はもっとしっかりしなきゃと、次の投球に気合が入る。
もう1つは送球だ。本間君のコラムにも取り上げられているが、糸を引くような送球で盗塁を刺してくれる。だから、1塁へ牽制を多く入れる必要もないし、くぎ付けにするか、スタートを遅らせるようにすれば良い。走られても飯沼君が刺してくれるから。
これほど投手に安心感を与えるキャッチャーはいないだろう。飯沼君の構えたミットに語りかけられている気がするのだ。ここに投げろってね。
尊敬、そして・・・。
飯沼君のことは、同い年の選手としても、尊敬している。俺も30歳を過ぎてからは怪我が心配だったり、体のケアを気にしたりと思うような成績が残せない中、飯沼君はキャッチャーを守り、3番バッター。4年連続盗塁王。更には、2005年(当時31歳の時)には4割を越すハイアベレージで首位打者も取った。
チーム内のほとんどの選手が自分たちより若い選手になり、野球の楽しさや難しさを一緒に伝えていきたかったのだが、チームから離れることになりすごく残念で仕方がない。
しかし、いずれまた一緒に野球ができることを楽しみに、対戦を楽しみに、はたまたずっと先のお互い指導者として対戦できるかわからないけど、いろんな可能性を楽しみに「もうダメやな?」な〜んてことをお互い言われないように、野球ができる喜びを胸にこれからも楽しんでいきたい。
そして彼もまた、週末は、同じ空の下、野球を楽しんでいることだろう。
2008年3月 HL#16中原 紳
〜家族愛あっての飯沼さんから学ぶこと〜
7割2分1厘。これは打率ではなく出塁率でもありません。この数字は、HL創設以来の飯沼さんの通算参加率です。7割という参加率ってそんなに難しくはないでしょうと感じている方がいるとすれば、それは間違いです。確かに、ある1年の出席率をみれば、そんなに難しいことではないかもしれません。しかし、8年間続けたとなれば、とてつもない偉業であります。プレーヤー飯沼としての凄さは、本間さんや中原さんが存分に書いてくれるだろうから、お二方にお任せして、コンスタントに参加したという偉業に触れてみたい。
HLのメンバーはそれぞれ人生の過渡期にあると思う。就職した人、結婚した人、子供が生まれた人。野球の環境というよりも、生活の環境が大きく変わる。気持ちの中ではHLが大きな部分を占めているとしても、実際には生活があってのHLというのが現実だろう。20代から30代と進むに連れて、自分ではコントロールできない部分が増してくる。
自分の記憶が正しかったとすれば、HLがスタートしたとき、飯沼さんは独身だったはずだ。その後、結婚し2人の子供が生まれた。この間、一貫して長期の休みはなかった。参加状況からすると、環境が変わっていることすら気がつかない人もいたのではないだろうか。「子供がふたりもいて、野球に来ても大丈夫なのですか?」と尋ねたことがある。飯沼さんの返事は、「土日の2日あるから、一日は野球で一日は家族との時間があるから大丈夫」ということだった。そうだよねっと流してしまいそうになるが、自分が同じ立場になってみて、この言葉の重みを痛感する。そうは言ってもなかなか難しいのが現実である。
それ以上は深入りしなかったが、家族の理解、特に奥さんの理解があったからやってくることができたと想像に難くない。チームの中心選手として活躍してきた飯沼さんにありがとうと感謝すると共に、参加を支えてくれた奥さんにもありがとうと感謝の念を述べたい。
次の時代に!
飯沼さんが残した偉業を彼の個人的なものに終わらせてはいけないだろう。彼の偉業をチーム全体に波及させていくことが、HLの発展に繋がると信じる。まず、自分の家族や彼女にHLを語ること。HLが自分にとってどいうものであるかを伝える。これをしなければ、ただ休日に草野球に夢中になっている人としか見てもらえないだろう。次に、チームの取り組みとして「家族・彼女感謝デー」なんて日を1試合作ってみてはどうだろう。今も、家族や彼女を試合に連れてきてはいるだろうが、来る日がバラバラだとなかなか誘いにくいのではないか。それならば、チームとして普段参加を支えてくれている家族・彼女に感謝を伝える場を設ける。そんなに大袈裟になる必要はなく、寒すぎず暑すぎない春か秋に「家族・彼女感謝デー」を設けて、一緒に連れてくる。家族・彼女同士が一緒に試合を応援する。我々は、普段のプレーを見せる。こうして環境を整えていくことが、去り行く飯沼さんの偉業へ敬意を表し、また偉業に近づくことに繋がる。
飯沼さんは今後もHLのサイトをチェックし続けるだろう。そんなときに、参加者が多くかつ強いチームであるなぁと安心してもらえることを期待して、筆を置きたい。
2008年3月 HL#4光岡 宏明
飯沼君との思い出のシーン、BEST1!!
〜本間編〜
〜This is 3・4番!!〜
2005年9月23日(祝)対MMR戦 〜世田谷区夏季大会準決勝〜
相手はこの年の6月に負けているMMR。
当時、飯沼君絶好調!本間絶不調!
3回表、飯沼君のホームランせいの打球がタイムリー2ベースと判断された直後に、本間の一発。「相手有利の判定のあとだけに、このホームランは価値あるよ!」と飯沼君が言ってくれたのを今でも鮮明に覚えている。続く4回表は飯沼君が前の回の打ち直しとばかりに鮮やかなホームラン!その勢いに乗せられて、俺も2打席連続・2者連続となるI・H砲のアベックアーチ!!
終わってみれば、チームは大勝!!3・4番で6打数6安打5打点3本塁打の大暴れ!!
その勢いに乗って、続く決勝戦も制し世田谷区3部優勝!!そして、その年の飯沼君の打率は前人未到の・467。 この年の飯沼君には、最後まで追いつけなかった。
〜中原編〜
2006年7月15日(土)対SLASH戦 〜多摩川緑地練習試合〜
飯沼君との8年間の野球人生の中で、なぜだか覚えているのは、私が参加した試合の中で見た飯沼君最後のホームラン。2006年28試合目SLASH戦の2ランホームランだ。左中間深い所、植木の向こう側まで飛んでいく放物線を見ながら、「よく飛ばすなぁ」と感心したのをよく覚えている。
〜光岡編〜
2005年8月6日(土)対新英電興戦 〜SS2005一回戦〜
飯沼さんの思い出に残る試合を1つ選ぶならば、2005年のジョンの引退試合だろう。大会だろうが、決勝戦だろうが彼はいつも冷静だ。大舞台では、良いか悪いかは別にして、チームにはいつもと違う雰囲気がある。そんな中、彼はひとり冷静な印象があった。しかし、その日だけは違っているように見えた。チーム全体に、ジョンの門出の日に何とか勝利をという思いが漲っていた。飯沼さんも熱くなっていた。近年入団した選手は、彼のそんな一面知らないだろうから、上げさせて頂いた
■データ
○初出場 00.09.30対チェリーハンターズ 二子玉川(5番キャッチャー) ○初安打 00.10.21対シラサギ 上井草 ○初打点 00.11.04対チェリーハンターズ 二子玉川 ○初盗塁 00.10.21対シラサギ 上井草 ○初本塁打 02.06.01対ニューオッズ 二子玉川 ○初盗塁 00.10.21対シラサギ 上井草 ○初勝利 01.02.25対ワイルドハーツ
年度 |
試合 |
打数 |
安打 |
二塁 |
三塁 |
本塁 |
打点 |
四球 |
三振 |
盗塁 |
打率 |
00 01 02 03 04 05 06 07 |
7 29 23 30 34 32 45 40 |
11 78 64 90 83 92 120 116 |
4 31 18 29 30 43 36 34 |
0 2 4 7 5 11 8 10 |
1 2 0 2 1 2 4 2 |
0 0 2 1 2 1 2 2 |
5 17 18 18 18 24 30 29 |
6 14 11 20 23 17 40 19 |
1 6 4 6 11 10 11 11 |
2 42 15 36 34 25 37 23 |
.364 .397 .281 .322 .361 .467 .300 .294 |
計 |
240 |
654 |
225 |
39 |
10 |
10 |
159 |
150 |
60 |
214 |
.344 |
【投手成績】
年度 |
登板 |
完投 |
完封 |
勝利 |
敗北 |
セーブ |
回数 |
被安 |
四死 |
三振 |
自責 |
防御率 |
00 01 02 |
3 3 2 |
0 0 0 |
0 0 0 |
0 1 0 |
0 0 0 |
0 0 0 |
3 10 2 |
2 5 2 |
2 3 3 |
1 12 0 |
1 3 2 |
2.33 2.10 7.00 |
計 |
8 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
15 |
9 |
8 |
13 |
6 |
2.80 |
